関西日仏学館

歴史

1926年 夏季学校から、恒久的な文化施設の設立へ

詩人大使と呼ばれた駐日フランス大使のポール・クローデルは、比叡山に夏季限定のフランス語学校を作ろうとしました。関西財界とのパイプ役を担った大阪商工会議所会頭 稲畑勝太郎の呼びかけで設立の準備が進められ、多額の寄付金が集まったことで、一時的な夏季大学構想は恒久的な施設の設立へと結びつきました。

1927 年 関西日仏学館 創設 

1927年、九条山(京都市山科区)に関西日仏学館が創設されました。日本で最初の、フランス政府に属するフランス語学校の誕生です。

1936 年 新館(現在の建物)の建設

よりアクセスの良い場所に新館を建てるべく、稲畑勝太郎と関西財界は再び資金を集め、新しい建物が1936年、現在地(京都市左京区)に建設されました。原案はオーギュスト・ペレの高弟レイモン・メストラレ、設計監督は木子七郎が行いました。

1936年5月 華やかな新館落成式

1936年5月、東久邇宮稔彦王を迎えた新館落成式が華やかに執り行われました。フランスから送られた多くの調度品のうち、今も残る家具の一つが、ルルー作の「Boudoir」です。豪華客船ノルマンディー号でも使われていたこのテーブルは、1階レストランで今も活躍中。藤田嗣治の大作『ノルマンディーの春』もこの時に寄贈されています。

戦時中の活動 ~ 「平和の小島」として

1940年にフランスがドイツに降伏して以降、関西日仏学館はフランス本国との通信も困難な状況に置かれましたが、戦時中も授業を継続しました。しかし1945年4月、ついに軍の作業場として接収されてしまいます。

終戦後、荒れた館内を整えた後、関西日仏学館は1946年1月、早々に活動を再開しました。

1992 九条山跡地にヴィラ九条山を設立

1981年に取り壊された九条山校舎の跡地には、フランスから芸術家を招聘するアーティスト・イン・レジデンス「ヴィラ九条山」が創設されました。この時も稲畑勝雄氏の主導のもと、建設のための資金集めが行われました。

2003 関西日仏学館 改装工事後にリニューアル・オープン

2009 館内に在大阪・神戸フランス総領事館が移転

2012 大阪日仏センター=アリアンス・フランセーズを統合

2027 関西日仏学館100周年!



参考:関西日仏学館に関する論文等

『京(みやこ)にフランスあり!ーアンスティチュ・フランセ関西(関西日仏学館)の歴史と記憶ー』
著者:ミッシェル・ワッセルマン 立木康介/編集・発行:京都大学人文科学研究所 みやこの学術資源研究・活用プロジェクト、アンスティチュ・フランセ関西/2019年3月発行 ※当冊子をご希望の方は関西日仏学館(京都)の受付までお申し出ください。PDF版はこちら

京都大学人文科学研究所『人文學報』117号より 関西日仏学館に関する掲載論文
●立木康介「〈小特集〉京都における日仏交流史 –関西日仏学館と上海−京都ルート–」
●藤野志織「関西日仏学館と女性たち –九条山時代(1927-36)における女子部の活動を中心に–」

●趙怡「上海フランス租界と関西日仏学館 –第七代館長グロボワ(Charles Grosbois) を中心に–」
シャルル・グロボワ「中国におけるフランス語とアリアンス・フランセーズの役割(抄)」藤野志織訳