関西日仏学館設立の功労者 稲畑勝太郎

稲畑勝太郎(1862–1949

京都に生まれた稲畑勝太郎は15歳の時、京都府派遣留学生として選抜され、フランス人レオン・デュリーの引率のもと、フランスへ留学した。これは、西洋の知識や技術を習得した留学生が、帰国後に地域経済の発展に寄与することを目的としたプログラムであった。

稲畑は8名の日本人からなる一行の一員として1878年にマルセイユに到着し、その後8年間の滞在の大半をリヨンで過ごした。技術学校ラ・マルティニエールにて染色を学び、工業染色会社での勤務を経て、大学で応用化学を修めた。

帰国後、彼はフランスで得た知識の普及に大きく貢献した。さらに染料の輸入に注力し、1890年、稲畑産業の前身となる稲畑染料店を京都に創業した。

関西を代表する実業家であり、貴族院議員、大阪商工会議所会頭も務め、フランス語に堪能でフランス文化を愛した稲畑は、詩人大使と呼ばれた駐日フランス大使ポール・クローデルのもと、京都にフランス語とフランス文化ための施設を創設する計画に深く関わった。稲畑の尽力により集められた資金を元に、1927年、九条山に関西日仏学館が設立され、1936年には京都大学近くに新たな建物(現在の関西日仏学館)が建設された。

稲畑勝太郎は、日本に映画(シネマトグラフ)を紹介した人物としても知られる。彼は、ラ・マルティニエール時代の学友であるオーギュスト・リュミエールとその弟ルイが発明した装置を輸入し、1897年、大阪において日本初の映画興行を行った。

この胸像は、1936年の建物の落成式に際し、稲畑勝太郎臨席のもと、庭園に設置された。 以来、稲畑家とフランスとの絆は世代を超えて受け継がれている。

参考

・稲畑勝太郎の生涯を描いた伝記『稲畑勝太郎君伝』(1938年発行)はこちら稲畑産業株式会社のウエブサイト)